"拳四朗"

寺地拳四朗

Kenshiro Teraji
25 2 0
(16KO)

プロフィール

国籍JP
生年月日1992-01-06
構えオーソドックス
身長165 cm
リーチ164 cm
主戦階級フライ級
所属ジムB.M.Bボクシングジム

バイオ

寺地拳四朗 選手バイオ

寺地拳四朗は1992年1月6日に京都府城陽市で生まれ、元日本ミドル級王者でOPBF東洋太平洋ライトヘビー級王者を務めた寺地永を父に持つプロボクサーです。B.M.Bボクシングジム所属で、元WBAスーパー・WBC世界ライトフライ級統一王者、元WBA・WBC世界フライ級統一王者として、世界2階級制覇を達成しています。名前の由来は漫画『北斗の拳』の主人公ケンシロウから採られていますが、本人は漫画を読まないため原作を一度も読んだことがないという興味深いエピソードがあります。入場曲には「愛をとりもどせ!!」を使用し、フライ級転向後は「TOUGH BOY」とのメドレーで入場しています。

ボクシングとの出会いは決して順風満帆なものではありませんでした。中学3年生の時に「行ける高校がない」と教師に言われ、スポーツ推薦で高校進学するためにボクシングを始めたのです。当時は競艇選手である従兄弟の是澤孝宏の影響で競艇選手を目指しており、ボクシングで日本ランキング5位以内に入れば競艇学校の特別推薦がもらえると聞いたことも動機の一つでした。父の永も「無理やりやらせた面もある」と語るように、最初は嫌々始めたボクシングでしたが、奈良県立奈良朱雀高等学校時代にはインターハイや国体に出場を果たします。2009年の高校3年次のインターハイ決勝では、後に世界的スターとなる井上尚弥に3ラウンドレフェリーストップで敗れています。

関西大学人間健康学部に進学後も、大学4年次に国体成年男子ライトフライ級で優勝、全日本選手権で準優勝という実績を残しましたが、高校と大学で計2回、競艇学校の入学試験を受けるなど、ボクシングへの執着は薄いままでした。しかし2014年の大学卒業と同時にプロ転向を決意し、父が経営するB.M.Bボクシングジムからデビューします。リングネームを下の名前のみの「拳四朗」とし、8月3日にヘリ・アモルを相手にプロデビュー戦で判定勝ちを収めました。

プロ転向後の寺地の躍進は目覚ましいものでした。2015年10月にWBC世界ライトフライ級ユース王座を獲得すると、同年12月には日本ライトフライ級王者の堀川謙一を破り、プロ6戦目で日本王座を獲得します。2016年8月には大内淳雅との対戦でOPBF東洋太平洋王座も獲得し、親子2代で日本王座とOPBF王座の2冠を果たすという国内初の快挙を成し遂げました。そして2017年5月20日、有明コロシアムでガニガン・ロペスを破り、プロ10戦目にしてWBC世界ライトフライ級王座を獲得します。この世界王座獲得が寺地のボクシング観を変える転機となりました。本人は「世界王者になったことで、ボクシングが自分に向いていると思い、競艇選手はもういいかなという気持ちになった」と語っています。

世界王者として寺地は着実に防衛を重ねていきます。2017年10月には元王者のペドロ・ゲバラを退け、同年12月にはヒルベルト・ペドロサを4ラウンドTKOで下しました。2018年5月にはガニガン・ロペスとの再戦で2ラウンドKO勝ちを収め、同年10月には元IBF王者のミラン・メリンドを7ラウンドTKOで破るなど、強豪を次々と撃破していきます。2019年7月のジョナサン・タコニング戦まで「拳四朗」のリングネームを使用し、同年12月のランディ・ペタルコリン戦から本名の「寺地拳四朗」に変更しました。この時点で7度の防衛に成功していましたが、ボクシングを楽しいと思うようになったのは防衛を重ねてからで、特に三迫ジムのトレーナー加藤健太に教わるようになり、技術的な理解が深まったことで徐々にボクシングを好きになっていったと語っています。

2020年7月には酒に酔って東京都内のマンション敷地に不法侵入し、器物損壊騒動を起こすという不祥事が週刊文春で報じられました。被害者との示談は成立したものの、JBCから制裁金300万円、3か月間のライセンス停止、6か月の社会奉仕という処分を受け、12月に予定されていた久田哲也との防衛戦は中止となります。2021年4月に延期された久田戦では判定勝ちで8度目の防衛に成功しましたが、同年9月22日、矢吹正道との対戦でプロ初黒星となる10ラウンドTKO負けを喫し、王座から陥落しました。

この敗戦をめぐっては、試合中の寺地の右目上のカットが「故意のバッティング」だったとして寺地陣営がJBCに質問状を送付するなど、論争が巻き起こります。JBCは「判断できず」との回答を示しましたが、WBCから再戦命令が出されていたことが後に判明し、JBCがこれを両陣営に伝えていなかったことも発覚しました。寺地会長や矢吹の所属ジム会長はJBCへの不信感を表明しましたが、両陣営は再戦で合意します。2022年3月19日、京都市体育館で行われたダイレクトリマッチで寺地は矢吹を3ラウンドKOで下し、王座に返り咲きました。この試合はABEMAで無料独占生配信され、大きな注目を集めました。

王座返り咲き後の寺地は、さらなる高みを目指します。2022年11月1日、WBA世界ライトフライ級スーパー王者の京口紘人と王座統一戦を行い、5ラウンドと7ラウンドでダウンを奪って7ラウンド2分36秒TKO勝ちを収めました。これによりWBAスーパー及びリングマガジン王座を獲得し、日本人男子として5人目となる分立2団体間の統一王者となります。2023年4月にはアンソニー・オラスクアガとの壮絶な打ち合いを9ラウンドTKOで制し、同年9月には元WBAスーパー・IBF統一王者のヘッキー・ブドラーを9ラウンドTKOで破るなど、世界トップクラスの実力を証明しました。2024年1月のカルロス・カニサレス戦では接戦を判定で制し、WBA王座3度目、WBC王座4度目の防衛に成功しています。

2024年7月、寺地はさらなる挑戦を求めてフライ級への転向を決断し、WBAスーパー・WBC両王座を返上します。同年10月13日、有明アリーナで元WBC世界フライ級王者のクリストファー・ロサーレスとWBC王座決定戦を行い、ロサーレスの鼻骨骨折によるレフェリーストップで11ラウンド6秒TKO勝ちを収め、2階級制覇を達成しました。そして2025年3月13日、両国国技館でWBA世界フライ級王者のユーリ阿久井政悟と王座統一戦を行い、12ラウンド1分31秒TKO勝ちでライトフライ級に続く2団体統一に成功します。これにより井上尚弥に次いで日本人ボクサーとして史上2人目の複数階級統一王者となりました。

しかし2025年7月30日、横浜BUNTAIでリカルド・ラファエル・サンドバルとの統一王座防衛戦で12ラウンド判定負けを喫し、WBA・WBC両王座から陥落します。それでも寺地は諦めず、同年12月27日にはスーパーフライ級に転向してIBF世界王者ウィリバルド・ガルシアと3階級制覇をかけた対戦が予定されましたが、ガルシアが前日計量後に胃の不調を訴え緊急入院したため試合は中止となりました。2026年1月にはIBFがガルシアの指名戦を指令したため、寺地の例外申請は却下されています。

寺地拳四朗の戦績はアマチュア74戦58勝16敗、プロ27戦25勝2敗という数字が示す通り、高い勝率を誇ります。特にプロでのKO率の高さは、技術だけでなくパワーも兼ね備えた選手であることを物語っています。父との関係は良好ですが、普段はボクシングの話をすることはほとんどなく、試合後のアドバイスもあまりないといいます。